音楽輸入都市ロンドン
ヘンデルとその周辺 2013.7/19.( Tokyo ), 7/27.( Osaka ), 10/19.( Toyama ) 1)John Loeillet of London ( 1680 - 1730 ) ロンドンのジョン・レイエ Sonata C major Op. 3 - 1 ソナタ ハ長調 作品3-1 Largo - Allegro - Affetuoso - Allegro 2 ) Giovanni Battista Bononcini ( 1670 - 1747 ) G. B. ボノンチーニ Divertimento da camera No.3 A minor ディヴェルティメント・ダ・カメラ 第3番 イ短調 Tempo Giusto - Allegro - Lento - Presto assai 3 ) Francesco Barsanti ( 1690 - 1772 ) ( arr. ) ( from " A Collection of old Scots Tunes " ) F. バルサンティ編曲(「スコットランド古歌曲集」より) Dumbarton's Drums ダンバートンの太鼓 Kat Oggie キャサリーン・オッギー 4 ) Francesco Geminiani ( 1687 - 1762 ) ? 伝 F. ジェミニアーニ( P. チャブード編曲のソナタ集第3番) Sonata E minor ソナタ ホ短調 Adagio - Allegro - Largo - Vivace 5 ) F. Barsanti ( arr. ) ( from " A Collection of old Scots Tunes " ) F. バルサンティ編曲 (「スコットランド古歌曲集」より) Thro' the Wood Laddie 森を抜けて若者よ 6 ) George Frideric Handel ( 1685 - 1759 ) G. F. ヘンデル Sonata C major HWV 365 ソナタ ハ長調 Larghetto - Allegro - Larghetto - a tempo di Gavotta - Allegro ~~~ 休憩 ~~~ 7 ) Charles Dieupart ( ca.1670 - ca.1740 ) Ch. デュパール Suite No. 5 F major 組曲 第5番 ヘ長調 Ouverture - Allemande - Courante - Sarabande - Gavotte - Menuet en Rondeau - Gigue 8 ) G. F. Handel ( arranged for Harpsichord solo by William Babell, 1717 ) G.F. ヘンデル ( W. ベイベルによるチェンバロ用編曲, 1717年 ) Lascia ch'io pianga ( in the Opera of " Rinaldo " ) 歌劇「リナルド」より 「私を泣かせて下さい」 9 ) F. Barsanti ( arr. ) ( from " A Collection of old Scots Tunes " ) F. バルサンティ編曲 (「スコットランド古歌曲集」より) The Lass of Peatie's mill ピーティーの水車小屋の娘 10 ) G. F. Handel G. F. ヘンデル Sonata D minor HWV 367a ソナタ ニ短調 Largo - Vivace - Presto - Adagio - Alla breve - Andante - a tempo di Minuet 11 ) Godfrey Finger ( ca.1660 - 1730 ) G. フィンガー Ground D minor from " Airs anglois " グランド ニ短調 (「イギリスの旋律集」より) 使用楽器 アルト リコーダー、木下邦人製作 Th. Stanesby Sr. モデル、a'=415Hz、1985年、長野県飯田市 木下邦人製作 Bressan モデル、a'=415Hz、1996年、長野県飯田市 ソプラノリコーダー、譜久島譲製作 E. Terton モデル、a'=415Hz、1999年、東京都新宿区 テナー リコーダー、譜久島譲製作 Th. Stanesby Jr. モデル、a'=415Hz、2010年、埼玉県所沢市 この演奏会のプログラムはヘンデルが活躍した18世紀前半のロンドンで奏でられていた様々な音楽で構成されている。 当時のロンドンにはヨーロッパ大陸からたくさんの音楽家がやってきた。もちろんその筆頭はヘンデルであるが、彼は単なるドイツ人作曲家として迎え入れられたのではなく、各国の音楽様式を身につけ20代前半で留学した音楽先進国イタリアにおいてさえ一目置かれた、その時代随一の音楽家として歓迎されたのだ。ヘンデルがイギリスに来た当初の最も大きな仕事は、イタリアオペラの興行という文化的事業よってイギリスが一流国家であることを他国に示すことだった。1600年頃にイタリアで作り上げられたオペラはヨーロッパを席巻したが、国によって受容はまちまちで、フランスでは1670年代からフランス語によるオペラのみが作られ、ドイツでは18世紀になる前からイタリア語のオペラが作られていた。しかし、18世紀初頭のロンドンでは歌だけで全てが進行するオペラという演劇形式は緒に就いたばかりでオペラは英語で上演されるものかイタリア語なのかさえ確定していない状況だった。そこにやって来たヘンデルがロンドンで初となる完全に新作のイタリアオペラ「リナルド」を上演し(1711年)、この大成功がその後のロンドンでのオペラはイタリア語によるものと決定づけた。イタリアオペラの上演は多数のイタリア人歌手をロンドンへと呼び寄せることになったし、器楽奏者や作曲家もやってくることになった。ヘンデルがロンドンで活動していた1710年からの50年間にロンドンにやって来たイタリア人音楽家のうち名前が判明しているのは約70名で、実際にはその数倍の人数のイタリア人音楽家が来ていた可能性がある。イギリスでのイタリア音楽の流行は1700年代初頭のコレッリの作品の輸入に端を発している。コレッリの音楽は全ヨーロッパに絶大なる影響を与えたが、ことにイギリスでは18世紀末に至るまで音楽の規範として崇められた。 ヘンデルがロンドンに来る以前にいくつかの英語オペラを上演していたドルリーレーン劇場において、1706~09年にはボノンチーニ作曲の「カミッラの勝利」(1697)の英語翻訳版が64回も上演されている。モデナに生まれボローニャでチェロを学んだボノンチーニは17世紀末までにはオペラ作曲家として名声を博していた。ローマ、ベルリン、ウィーンと渡り歩き、1720年にヘンデルが音楽監督を務めるロンドンの王立音楽アカデミーに作曲家として招かれる。ヘンデルは「リナルド」以降いくつもの新作イタリアオペラをロンドンで発表するが、1717年にヘイマーケットのクイーンズ劇場の閉鎖によって中断を余儀なくされていた。そこに、1719年、貴族の間でオペラを求める運動が高まり、「王立音楽アカデミー」という名のオペラ上演の会社組織が立ち上げられた。南海会社のバブルによる好景気での経済力にものを言わせ、イタリアから有名歌手や作曲家、台本作家、器楽奏者を多数ロンドンに呼び寄せ、ヨーロッパ最高のイタリアオペラの街にしようとしたのだ。王立音楽アカデミーにヘンデルの他にいた4人の作曲家のうち、ヘンデルに対抗するほどの人気を得ることが出来たのはボノンチーニだけだった。しかし、最終的にロンドンのイタリアオペラを席巻したのはヘンデルであった。 1720年代のヘンデルはオペラ上演だけでなく、国王家との交わりも深かった。ドイツのハノーヴァーから来たジョージ1世は好んでオペラを鑑賞したし、ヘンデルは国王の娘たちの音楽の家庭教師としてチェンバロを教えていた。ヘンデルのリコーダーソナタはアン王女の通奏低音のレッスンに使われたものと考えられている。これは、ヘンデル自身による4曲のリコーダーソナタの清書譜が残されているためである。1724~26年頃にヘンデルはリコーダーのためだけでなくヴァイオリンやトラヴェルソのためのものを含む一連のソロソナタを作曲している。 コレッリにも学んだヴァイオリン奏者ジェミニアーニは1716年にロンドンに渡り、演奏活動のほか、作曲、編曲、教則本の執筆など多岐にわたって活動した。ヘンデルの通奏低音で国王ジョージ1世の前で演奏したこともある。ジェミニアーニは師コレッリの名声を十分に活用した弟子で、コレッリの作品に装飾を付けたものやソナタを協奏曲にアレンジしたものなども出版している。また、教則本は有名なヴァイオリン奏法だけでなく、通奏低音奏法やギター奏法のものまであり、当時のイタリアのトップモードをイギリスに伝える役割を果たした。晩年はアイルランドのダブリンに住み、アイリッシュ音楽に傾倒してアイルランド風のヴァイオリン奏法の教本やアイルランド音楽の編曲楽譜なども出版している。 しかし本日演奏するジェミニアーニ作曲として知られているホ短調のソナタは実際には他の作曲家の作品である可能性が高い。この曲はイタリア人フルート奏者ピエトロ・チャブード( Pietro Chaboud 、彼はたて笛リコーダーが主流だった18世紀初頭のロンドンでの最初の横吹きフルート演奏家のひとりで、クイーンズ劇場のオペラ座オーケストラにも乗っていた)が1723年頃にロンドンで出版したソナタ集第1巻の第3番である。この曲集の初版のタイトルには「偉大な作曲家たちの作品選を横吹きフルート用に編曲」とあるだけで、作曲家名はどこにも記載されていない。実際にはジェミニアーニとカストルッチ Castrucci(ヘンデルのオペラを上演していた「王立音楽アカデミー」のオーケストラのコンサートマスターだったイタリア人ヴァイオリン奏者)の作品の他、ヴィヴァルディ Vivaldi やビガーリア Bigaglia のヴァイオリンソナタを改作したものも混ざっていて、ジェミニアーニの作品と断定出来るのは第2巻の4番(ジェミニアーニの Op.1-10)のみである。1727年に、これと似た曲集であるフルート用編曲のジェミニアーニとカストルッチのヴァイオリンソナタ(計6曲)がアムステルダムで出版され、その海賊版が1730年頃ロンドンで出版された際に混同が起こり、チャブード編曲の曲集も「ジェミニアーニとカストルッチ作曲」の表紙を付けて再版されたのだ。現在この第3番ホ短調がジェミニアーニ作と思われているのは、現代譜(ベーレンライター Hortus Musicus ) の校訂者が再版のタイトルを鵜呑みにしたためであり、実際の作曲者は全く不明である。 この曲集が伝えるのは、その中に含まれている曲目だけではなく、当時の音楽受容の一側面である。チャブードはこの出版によって横吹きフルートの普及を図り、レッスンを受ける生徒を集めようとしたのだろう。初版の表紙には横吹きフルート学習者のためのほかの出版物の案内も掲載されている。新作を出版するよりも、流行のイタリア音楽しかも有名作曲家の作品の編曲の方が売れ行きも良かっただろうし作曲の手間もかからない。そして、それが真作なのかどうかなのかなんてあまり気に留められていなかったのだ。ロンドンで出版された他の作曲家の曲集にもこういった剽窃はちょくちょく見られる。またおそらくチャブード自身もこういった曲目を自分の演奏会で演奏していたことだろう。オペラの導入は遅かったロンドンだが、公開の有料演奏会は他国よりも早く1670年代にはじまり、パブや自宅での演奏会だけでなく演奏会専用の建物さえ建てられ、演奏家が自分で企画したシリーズの演奏会も次々と催されていた。楽譜出版も大変に盛んで、それが大量の海賊版を生んだ弊害もあるが、それは元々アマチュア音楽家たちが自分で演奏を楽しむ豊かな土壌でもあった。ロンドンは音楽の大消費地だったのだ。 バルサンティはジェミニアーニと同郷で、一緒にロンドンにやって来た。最初はオペラ劇場のオーケストラでオーボエとリコーダー奏者として働いたが、当時ロンドンに3つあった劇場のどこなのかは不明である。ロンドンでは1724年にリコーダー・ソナタ集、28年にトラヴェルソ・ソナタ集を出版したほか、1730年頃にはジェミニアーニのヴァイオリンのソロソナタを2つのヴァイオリン用のトリオソナタに編曲したものも出版している。1735年にスコットランドのエジンバラに移住し、エジンバラ音楽協会でヴァイオリン奏者として破格の待遇を受けた。管楽器奏者からヴァイオリン奏者への転身は珍しいが、多才な人だったようで、エジンバラではティンパニも演奏していたようだ。ロンドンでは1720年代半ばからスコットランドやアイルランド音楽の出版によってケルトの音楽が紹介されるようになっていた。1742年にエジンバラで出版されたバルサンティの「スコットランド古歌曲集」には28曲が収録されている。当時出版された他のスコットランド歌曲では、歌詞付きで単旋律のメロディーだけ記載されるのが基本だったが、バルサンティの曲集では全ての曲に通奏低音が付けられており、しかも器楽での演奏を目的とした編曲のようで歌詞は記載されていない。 17世紀後半から他国に先駆けて公開演奏会が催されていたロンドンにはイタリア人以外の器楽奏者も多くやってきた。本日のプログラムでは以下の3人が非イタリア人である。 モラヴィア出身のフィンガーは1688年からロンドンで活動し、ベルリンに移動する1702年までの滞在中にイギリス風の音楽をたくさん作曲した。自身はヴィオラ・ダ・ガンバの名手だったが、リコーダー用の作品も多い。18世紀初頭にアムステルダムで3集出版されたリコーダーのための曲集「イギリスの旋律集 Airs anglois 」にはフィンガーの作品が多数収められている。 フランスからやって来たチェンバロとヴァイオリンの奏者、デュパールは予約演奏会のシリーズで好評を博した。また、ヘンデルのオペラのオーケストラのチュンバロ奏者でもあった。彼が作曲したチェンバロのための6つの組曲は、ヴァイオリンとリコーダー及びヴィオラ・ダ・ガンバとアーチリュートのためという非常にイギリス的な組み合わせの編曲版とともに、イギリスのサンドウィッチ伯夫人への献呈を伴って1701年にアムステルダムで出版された。 レイエはベルギーの管楽器奏者の一族で、ロンドンにやってきたジャン・バチストは英名でジョンと名乗った。彼もヘンデルのオペラ座で演奏している。同名の従兄弟(ヘントのレイエなどと呼ばれるジャン・バチスト・レイエ)の作品がリコーダー用のソロソナタだけなのに対して、ロンドンのジョン・レイエにはトラヴェルソ用の曲もトリオソナタもあり、チェンバロ用の組曲もある。6曲のリコーダーソナタを含む作品3のソロソナタ集は、前半がリコーダー用、後半がトラヴェルソ用の12曲セットである。 (小池耕平)
by flauto_diritto
| 2013-07-19 19:00
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