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リサイタル「イタリアの道」


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終了いたしました。
沢山の方に御来場いただきました。有り難う御座います


プログラムノートを掲載しておきます。

1. チーマ(ミラノc.1570~ミラノ1630):リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ(原曲:ヴァイオリンとヴィオローネのための)
Giovanni Paolo Cima : Sonata a 2 (originale: per violino e violone)

2. マルチェッロ(ヴェネツィア1686~ブレーシャ1739):チャッコーナ ヘ長調 op. 2-12より
Benedetto Marcello : Ciaccona in fa maggiore op. 2-12

3.マルチェッロ(ヴェネツィア1686~ブレーシャ1739):リコーダー・ソナタ第10番 イ短調 op.2-10
Benedetto Marcello : Sonata decima in la minore per flauto e basso continuo op. 2-10

4. バルサンティ(ルッカc.1690~ロンドン1772):リコーダー・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.1-5
Francesco Barsanti : Sonata quinta in fa maggiore per flauto e basso continuo op. 1-5

5. ヴェラチーニ(フィレンツェ1690~フィレンツェ1768):リコーダー・ソナタ 第4番 変ロ長調
Francesco Maria Veracini : Sonata quarta in si bemolle maggiore per flauto e basso continuo

6. マンチーニ(ナポリ1672~ナポリ1737):リコーダー・ソナタ 第2番 ホ短調
Francesco Mancini : Sonata seconda in mi minore per flauto e basso continuo

7. コレッリ(フジニャーノ1653~ローマ1713):ラ・フォリア op.5-12
Arcangelo Corelli :La Folia op. 5-12

8. チーマ(ミラノc.1570~ミラノ1630):リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ(原曲:コルネットとトロンボーンのための)
Giovanni Paolo Cima : Sonata a 2 (originale: per cornetto e trombone)

rec:小池耕平
vdg:中野哲也
cem & org:三橋桜子


<プログラムノート>
 18世紀のヨーロッパでグランドツアーというものが流行しました。これは、イギリスの俗福な貴族子弟が、学業の終了時にフランスやイタリアへと旅をした、今で言う修学旅行のようなものです。今と違って馬車で旅行するわけですから移動の時間もかなりかかりましたし、各都市に長期滞在するため最低でも数ヶ月から長い場合には数年に渡る旅でした。
 本日のプログラムは、たった2時間弱でグランドツアー気分を味わおうという趣向です。ツアーコンダクターは、たて笛リコーダーで、目指すはバロック時代のイタリアの諸都市。異なる町出身の6人の作曲家のソナタを取り上げます。それぞれの作曲家は今でこそメジャーだとは言えませんが、当時は皆それぞれに著名人でした。また、現在良く知られていないが故に、かえって先入観無しにその時代性や地域性を反映した音楽をお聴きいただけるのではないかとも思います。

***

 イタリアはバロック音楽が生み出されたところです。
 前の時代、ルネサンス期の音楽はポリフォニー(対位法によって同時に複数のメロディーを組み合わせた多声音楽。カノンやフーガもこの仲間です。)が主流でした。ところが17世紀を目前にした頃から古代ギリシャの音楽劇を再現する実験が行なわれ、1600年頃のフィレンツェの宮廷で全てが音楽に乗って歌われる音楽劇「オペラ」が誕生したのです。そのためにひとつの歌詞を一人だけで歌い、単純な和音だけの伴奏がつく「モノディー」と呼ばれる形式が発明されました。今から見るとこの形式は当たり前のような気がしますが当時としては前の時代とは大幅に異なった新しい音楽でした。また、それにあわせて新たに開発された伴奏の書式はベースの音に数字を振って弾くべき和音を示したもので「通奏低音」と呼ばれ、バロック時代の音楽を特徴付けるものになっています。この新しい音楽は「新音楽」とか「第二作法」と名づけられ古い音楽(「旧音楽」、「第一作法」と呼ばれることになりました)と区別されました。つまり作曲家達も明らかに新しいものを創造したという意識があったのです。またこの時代には、この新しい声楽の形式を応用して器楽のためのシリアスな音楽が初めて作曲されるようにもなり、「ソナタ」と名づけられました。初期バロックのソナタは、様々な感情を喚起する短い部分を切れ目無くつなぎ合わされた一つの楽章に作られています。そこでは対位法を使用した旧音楽の書法による部分と、オペラのアリアやレシタティーヴォを思わせるような新音楽の書法による部分、あるいは舞曲を思わせる部分がパッチワークのように組み合わされています。

 本日の旅は、17世紀になったばかりのミラノに始まります。
 一曲目に演奏する、G.P.チーマのソナタは、最も初期の器楽独奏曲の例です。チーマは北イタリアの都市ミラノのオルガン奏者の家系に生まれ、長年ミラノの教会のオルガン奏者として働き、楽長としても勤めました。
 このソナタは不思議な抑揚に富んだバロックならではのメロディーが、古めかしい印象を与える前時代の手法である対位法によって展開される部分に始まります。リコーダーの演奏する上声とヴィオラ・ダ・ガンバの演奏する低音声部が、時に穏やかに対話し時には激しく主張て技巧を尽くしたソロを奏でる多様な場面をはさみつつ曲は進みます。そして最初のメロディーが途中で何度も顔を見せます。ただ、この曲は教会の礼拝の途中で演奏することを目的とした「教会コンチェルト集Concerti ecclesiastici」という曲集に含まれているため、舞曲の要素を聴く事は出来ません。

 ミラノを後にした私たちはまず、18世紀の北イタリアの諸都市を巡ります。
 1600年ごろに誕生したソナタは、17世紀の後半にはその規模を拡大し、つなぎ合わされていた各部分が「楽章」として分離されるようになります。その際、緩・急・緩・急のテンポだけを冠した4つの楽章で構成される教会ソナタと、多数の舞曲楽章から構成される室内ソナタの二種類が生まれました。

 ヴェネツィアの作曲家はヴィヴァルディやアルビノーニなど枚挙に暇が無いほどですが、本日お聴きいただくのはB.マルチェッロです。彼はヴェネツィア貴族の家の出で本業は政治家、法律家でしたが、映画「ヴェニスの愛」のオーボエコンチェルトで有名な兄のアレッサンドロと同じく作曲家として活動していました。彼の作品2のリコーダーソナタ集の表紙には『ヴェネツィア貴族で対位法の愛好家(ディレッタント)』と書いてあり、職業としてではなく趣味で音楽をしていることを誇りにしていました。また、音楽評論の筆も執っており鋭い舌鋒でも知られています。
 新奇なものへの志向が強く演奏者に超絶技巧を求めるヴィヴァルディとは全く対照的に、マルチェッロの作曲は古風で保守的で、演奏にあたっての技術的な難かしさも有りません。しかし、その透けて見えるほど透明度の高い構成のうちに、深い味わいと説得力を持った音楽です。マルチェッロ家の所有地に建てられたオペラ劇場の賃貸借に関して、劇場主が契約を守らずに居座り続け、ヴィヴァルディがその劇場を使ってオペラ上演を続けていました。そのことにより、マルチェッロは自著「当世風の劇場」(1720頃)の中でヴィヴァルディ一派を風刺し攻撃しています。そうでなくとも、保守的で古典趣味な作曲家マルチェッロと進歩的で近代的な作曲家ヴィヴァルディに相容れるところはなかったでしょうけれど。

 この時代、国外に職を求めるイタリア人音楽家は大変に多かったのです。音楽は文化的な先進国イタリアの重要な輸出品だったと言えるでしょう。
 ルッカに生まれたバルサンティはパドヴァ大学で理科系の学生だったのですが、卒業後に音楽に転進し、同郷のヴァイオリン奏者でコレッリの弟子だったジェミニアーニと共にイギリスのロンドンに渡り、オペラ劇場で管楽器奏者として働きました。彼はロンドンで、リコーダーソナタ集とトラヴェルソ(横吹きのフルート)ソナタ集の2つの曲集を出版しました。当時の広告によるとリコーダーソナタは、ロンドンの有名な管楽器製作家P.ブレッサンが販売しています。バルサンティは45歳ごろには何故かスコットランドに移住し8年ほど滞在しています。その間、スコットランド歌曲集と合奏協奏曲集(随所にスコットランド風味が聴かれる!)を出版。その後ロンドンに戻りますが管楽器奏者の職を得ることは出来ず、ヴィオラ奏者になりました。
 バルサンティの第5番のリコーダーソナタには、同時代に同じロンドンでオペラ作曲家として活躍していたヘンデルからの強い影響を感じることが出来ます。ヘンデルの合奏協奏曲をリコーダーと通奏低音に編曲したらこのような響きになるかもしれません。

 ヴェラチーニもまた様々な国で活躍した音楽家です。おそらく彼は世界初の国際的ヴァイオリン・ヴィルトゥオーゾです。フィレンツェに生まれヴェネツィア、ロンドン、ドレスデンなどを渡り歩いて活躍しました。有名な上に変人で、当時の評価は演奏についても人間性についても毀誉褒貶さまざまでした。ドレスデンでは舞台上での喧嘩に巻き込まれて3階席から飛び降りてその後片足が不自由になったり、ドーヴァー海峡で海難事故にあったりと、波乱万丈の人生でした。晩年には故郷フィレンツェに定住しています。
 ヴェラチーニがドレスデンのオーケストラへの就職活動をした際にまとめられたのが、1716年に浄書されザクセン選帝侯の息子フリードリヒ・アウグストに献呈された、12曲からなるヴァイオリンまたはリコーダーのためのソナタ集です。ヨーロッパ随一の規模と人材を誇っていたドレスデン宮廷オーケストラにはヴォリュミエ(当時楽長)やピゼンデルなどの名ヴァイオリニストが居り、その時点でヴァイオリンのメンバー補充は全く不必要だったのですが、その上で成就したこの就職はフリードリヒ・アウグストの後押しあってのものでしょう。しかもヴェラチーニの給料は楽長よりも高額で、異常に高く評価されていたことをうかがい知ることが出来ます。しかしそのせいか、ヴェラチーニはこの宮廷では嫌われていたようです。
 彼のソナタはコレッリの形式を踏襲して極めてバランスよく作曲されているのに、何故か奇妙な印象を与えてくる場面が多く、曲のそこかしこに変人の面影を見る思いがします。

 南イタリアの都市、ナポリはオペラの中心地でした。また、そこには4つもの音楽院が有り、音楽教育も盛んでイタリア全土から学生が集まり、演奏家や作曲家を多数育成していました。
 マンチーニは生涯をナポリで過ごしたオペラ作曲家です。ナポリに生まれナポリの音楽院で学び、最初はオルガン奏者として出発しましたが、30才で書いた初のオペラで作曲家として認められました。不幸なことにマンチーニはローマからやってきた作曲家アレッサンドロ・スカルラッティの二番手の地位に長年甘んじており、ナポリ宮廷の楽長の地位に就いたのは50歳を過ぎてからでした。オペラの町ナポリの作曲家が残した器楽曲はさほど多くありません。器楽曲は娯楽目的で作られていましたから、もしかしたら大量に作曲されたのに再演も出版もされず使い捨てにされたのかもしれません。マンチーニの主要作品もオペラや声楽作品ですが、幸いなことにリコーダーのためのソロソナタを12曲、リコーダーを含んだ編成のコンチェルトを12曲残しています。リコーダーソナタ集は、1724年にロンドンで出版されており、駐ナポリ・イギリス総領事フリートウッドへに献呈されています。1710年にはロンドンのイタリアオペラ座でマンチーニ作曲のオペラ「イダスペ」が上演されているので、イギリスとの間に何がしかのコネクションが有ったものと考えられます。
 今聴くと、マンチーニのソナタはスカルラッティの同種の作品よりも遥かに内容が濃く、演奏効果も上がるものです。甘いメロディーも、対位法の腕の確かさも、和声の変化の豊かさも、奏者に求めてくる技巧の難度も、全て一級品だと言えます。

 ボローニャに近いフジニャーノという小さな町で生まれ、ボローニャでヴァイオリンを学んだA.コレッリはローマで活躍して大いに尊敬を集めた音楽家でした。教皇領の中心都市ローマでは、芸術によってカトリックを宣伝する目的のためにも、教皇以下多くの貴族達が建築や絵画彫刻そして音楽に対してのの資金を惜しまず大きく育てていました。
 コレッリは、自分の作品出版には大変に慎重な人で、静かな別荘に籠もって納得がいくまで推敲を重ねたということです。そのため、ごく僅かに筆写譜で伝えられたソナタの他に、たった6巻(各巻12曲セット)の曲集しか残されていません。17世紀後半には、2つのヴァイオリンと通奏低音という編成のトリオソナタが主流になっており、コレッリの作品1~4もその編成です。コレッリのトリオソナタは、声楽的な旋律をもつ楽章と対位法的な楽章の対比と明晰な構成をもち、全ヨーロッパに大きな影響を与え、トリオソナタの規範となっていました。しかし、彼が1700年に出版したヴァイオリンのためのソロ・ソナタ集(作品5)は従前の構成力に重ねてヴィルティオージティをも追求した意欲作で、初版後たちまちのうちに大ヒットし、ソナタの主流をトリオからソロへと転化させたのです。
 ラ・フォリアはこのヴァイオリンのソロ・ソナタ集の最後を飾る変奏曲。曲の緩急のバランスはあたかもひとつながりに演奏される長大なソナタのような構成を示しています

 プログラムの最後に、もう一度、17世紀初頭のミラノに戻りましょう。チーマのもう一つのソナタは、伸びやかな旋律で、対位法的な要素が比較的薄く、「新音楽」の喜びにあふれています。
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by flauto_diritto | 2007-04-17 19:00 | Flauto diritto | Comments(14)

昨日飲んだモルト

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@Bar婆沙羅

大阪の本番の後、打ち上げの二次会。

この店の常連である、リュート奏者の高本一郎さんと会う目的も有った。
来るたびに話だけは聞いていた高本氏とは今回初対面。私が到着した時にはシグナトリーのヴィンテージアイラ(あの緑色の瓶のやつ、ラガヴーリンの5年もの)を飲んでいらっしゃった。
ご挨拶の後ボトルを物色して、まずはUDRのローズバンク20年(1980)。一番右の。ハーブ系でスモークもあって甘くてピリッとしたプレーンオークのローズバンク。最初飲むのはこういうのですよね。
会話を楽しみつつ、モルトも楽しむ。良いですね。

高本氏はアイラ党らしく、キッツイやつばかり飲んでいる。

次に私はキングズバリー・ケルティックのタムドゥー(右から2番目)。ああ!何と!すごいですよこれ!スモモのような杏のような果物とへーゼルナッツのようなピスタチオのようなナッツとが同時に押し寄せてくる。美味しい!!!アフターも異常に長い。ついつい無口になってしまいます。
そして同じシリーズのアードベッグ1974(右から3番目)。レモンのような風味で、石炭のように強いピート香で、飲み終わると甘さを伴った消毒液の風味。これまたすんげえ~!
〆には、最近見なくなったマッカランの10年100プルーフ。やっぱり美味しいなあ。10年前にはごく普通に売っていたのになあ・・・(未開封のボトルをまだ持っているのはナイショ)。
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by flauto_diritto | 2007-04-16 12:31 | ウイスキー | Comments(5)

新宿御苑で花見

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最近行っている新宿三丁目のバーSaudadeの花見会が新宿御苑であった。
このバーは、高校の後輩がやっている店。そのせいで、参加者には同窓生多し。

地下鉄を出る段階からけっこうな人だったが、入り口で入場券を買うための行列が30分待ちだし、御苑の中も凄い人出。
桜は見ごろで、今日でなくてはならぬという感じ。時折吹く強い風で花吹雪が舞うと花見客一同拍手。

終了後はみんなでお店まで歩いて行って二次会。
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by flauto_diritto | 2007-04-01 13:20 | Comments(2)