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マンチーニのプログラムノート

小池耕平 Flauto diritto 「イタリアの道」作曲家別シリーズ 第2回

  フランチェスコ・マンチーニ 作曲
  Francesco Mancini (1672-1737 , Napoli)
  「ヴァイオリンまたはリコーダーのための12のソロ」より
  from “Ⅻ Solos for a Violin or Flute “, London

1:ソナタ 第4番 イ短調
  Sonata Quarta La minore
   Spiritoso~Largo – Allegro – Largo – Allegro Spiccato

 2:ソナタ 第2番 ホ短調
  Sonata Seconda Mi minore
   Andante – Allegro – Largo – Allegro
 
 3:ソナタ 第5番 ニ長調
   Sonata Quinta Re maggiore
    Allegro~Largo – Allegro – Largo – Allegro

 4:ソナタ 第10番 ロ短調
  Sonata Decima Si minore
   Largo – Allegro – Largo – Allegro

     ~~~(休憩:20分)~~~
  
5:ソナタ 第11番 ト短調
   Sonata Undecima Sol minore
    Un poco Andante – Allegro – Largo – Allegro

 6:ソナタ 第12番 ト長調
  Sonata Duodecima Sol maggiore
   Allegro ~Largo – Allegro – Andante – Allegro

 7:ソナタ 第9番 へ短調
   Sonata Nona Fa minore
    (Andante) – Allegro – Largo – Allegro


       リコーダー:小池 耕平
    チェンバロ:鴨川華子   ヴィオラ・ダ・ガンバ:中野哲也



 16世紀以来スペインの統治下にあった南イタリアの都市ナポリ。18世紀には他国からも音楽の町・オペラの都と認識されていたナポリ。しかしスペイン統治がイタリアのニューモードであるオペラという音楽劇の導入を阻んでいたのだろうか、北イタリアでは17世紀の開始とともに始まっていたオペラがナポリで上演されたという言及が見られるようになるのは17世紀も半ばになったころからであり、しかもそれは当初は旅回りの一座が上演するヴェネツィア・オペラであった。実際にナポリの音楽家によってオペラが上演されるようになるのは1676年以降の王室礼拝堂付きの音楽家による王宮での上演からで、その公演も、1683年にA.スカルラッティAlessandro Scarlattiがローマから呼び寄せられナポリ宮廷の楽長になるまでは、ヴェネツィアのオペラ作品だけを上演していたのであった。
 ナポリが音楽の町として名を馳せたのは、音楽院が4つも存在していたことにもよっている。17世紀の前半にサンタ・マリア・ディ・ロレート、サントノフリオ・ア・カプアーナ、ピエタ・デイ・トゥルキーニ、ポヴェリ・ディ・ジェズ・クリストの4つの養育院内に設置された音楽院は、イタリア全土から生徒を集め、そこで学んだ生徒たちはヨーロッパ各地で活躍していた。このような音楽教育機関はヨーロッパの他の地には見られないものだった。(ナポリ以外の養育院内での音楽教育には、ヴィヴァルディが教えていたヴェネツィアのピエタのものがあるが、そこで学んだ少女たちは基本的に養育院内だけで音楽活動をしていた)

 1672年にナポリに生まれたF.マンチーニFrancesco Manciniは、1688年からピエタ・デイ・トゥルキーニ音楽院でオルガンを学んだ。1694年から1702年まで同校のオルガン奏者を務め、その間1696年に書いた最初のオペラがローマで上演されている。1702年以降何度もステップアップを図っているがなかなかうまくいかない。1702年にはナポリでの初めての自作オペラ上演。1700年にスペイン王位がフランス・ブルボン家のフェリペ5世に継承され、1702年にブルボン家が新たなナポリ総督を派遣したことでスカルラッティのパトロンであった総督が去りスカルラッティもローマに帰還したチャンスに、マンチーニはナポリ宮廷楽長の地位を得ようとするも失敗(結局、楽長職は04年に第三者の手に渡り、マンチーニはそのとき宮廷の第一オルガニストとなるに留まった)。07年ナポリ王権がオーストリア・ハプスブルクに移る。マンチーニはオーストリア軍の入場を歓迎する「テ・デウム」を作曲演奏したことで翌08年に楽長に任命されるが、直後にスカルラッティが呼び戻されて、副楽長へと降格されてしまう。しかしこのとき、かろうじて、スカルラッティ後に楽長に昇進する権利を得ることができた。また、二番手とは言っても、実際にはスカルラッティが病気がちだったりたびたびナポリを不在にしたりしたため、マンチーニが代役を務めることが多かったようだ。彼がようやく本当に楽長になれたのはスカルラッティが死去した1725年である。またマンチーニはサンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院の院長を1720年から務めている。1735年に脳卒中で半身不随になり、音楽院長の地位は失うも宮廷楽長の地位は保持した(副楽長が代役を務めた)。37年没。

 マンチーニのパトロンだったと思われるナポリ駐在英国領事J.フリートウッドJohn Fleetwoodは1708年にナポリに着任している。彼は領事でありながらも密輸に手を染めていたことでも知られている。また、17世紀末にイタリア・ローマに移住していた英国出身のリコーダー・オーボエ奏者R.ヴァレンタイン(イタリア名:ロベルト・ヴァレンティーニRoberto Valentini。1715年にはナポリに移住)も、このフリートウッドの後援を受けていたようで、ローマで作曲し1710年にヴェネツィアで出版した作品3のソナタ集を献呈している。マンチーニのオペラ「忠実なるイダスペ」が1710年にロンドンのヘイマーケットのクイーンズ劇場(翌年ヘンデルが座付き作曲家となる)の新装こけら落とし公演として初演されたのも、フリートウッドの力によるものかもしれない。でなければ、地元ナポリでも二番手で国際的に名前が知られていたとは考えられないマンチーニの作品がロンドンで上演されるとは思えない。初演の際にはライオンまで登場したというこのオペラはロンドンでは1716年までに46回も上演され、この時代には異例のロングランを達成している。

 18世紀初頭のナポリの作曲家によって作られ現在残されている器楽曲の数は大変に少ない。オペラやオラトリオなどの声楽作品を主に書いていたマンチーニが作曲した器楽曲もごくわずかしか残っていない。しかしリコーダー吹きにとっては幸いなことに、マンチーニには本日演奏するリコーダーソナタ集(全12曲)の他に、筆写パート譜で残されたコンチェルトが12曲ある。あとはチェンバロのためのトッカータが2曲のみである。リコーダー作品ははヴァレンティーニとのつながりによるものかもしれない。本日演奏するマンチーニのソナタ集は初版が1724年頃にロンドンで出版された(John Barret and William Smith出版)。フリートウッドは1721年にロンドンに戻っているので、彼がこの曲集の出版に関わっている可能性は高い。また、このソナタ集は 1727年1730年と短期間のうちに再版(John Walsh and Joseph Hare出版)されている。初版のタイトルは“ヴァイオリンまたはフルート(リコーダーのこと)のための12のソロ”、第二版は“ヴァイオリンと通奏低音のための12のソロ(ジェミニアーニGeminianiによって注意深く校訂された)”、第三版は“フルートと通奏低音のための12のソロ”となっており、第二版まではフリートウッドへの献辞が掲載されている。それぞれの版はタイトルこそ異なるが中の楽譜は同じものである。フリートウッドは1725年に死去しており、ウォルシュ&ヘアによる第二版、第三版はその後に出た海賊版である。
 
 マンチーニのソナタはすべて緩・急・緩・急の四楽章からなる教会ソナタの形式によっているが、第一楽章が緩やかな曲ではなく 急~緩 という形のイタリア風のトッカータの形式によるものもある(第4番,5番,7番,12番)。第二楽章は教会ソナタの伝統にのっとりフーガである。最終第四楽章がジーグになっているものは少なく第3番と9番のみである。12曲のソナタは様々な調性(順にd,e,c,a,D,B♭,C,g,f,h,g,G)で書かれていて、リコーダーにあまり向いているとはいえないシャープ系(第2番ホ短調、第5番ニ長調、第10番ロ短調)もある。それぞれのソナタが異なった個性を持っているだけではなく、一曲中に於ける変化も多彩であり、一つの楽章の中でみられる予想外の展開にも驚くべきものがある。


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by flauto_diritto | 2009-02-17 21:00 | Flauto diritto | Comments(2)

「イタリアの道」作曲家別シリーズ 第1回&第2回   

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( ↑ 画像をクリックすると拡大します)

第2回(2009.2.17.火)は東京オペラシティ近江楽堂。マンチーニの特集。

プログラムを一部変更しました
(第7番ハ長調を第12番ト長調に変更し、第9番へ短調を追加)

 1:ソナタ 第4番 イ短調
 2:ソナタ 第2番 ホ短調
 3:ソナタ 第5番 ニ長調
 4:ソナタ 第10番 ロ短調
     ~~~~~
 5:ソナタ 第11番 ト短調
 6:ソナタ 第12番 ト長調
 7:ソナタ 第9番 へ短調

この回の鍵盤楽器はチェンバロのみです。

昔、学生時代に、集中講義にやってきたバロックオーボエのブルース・ヘインズにマンチーニの11番・ト短調のソナタのレッスンを受けました(もちろんリコーダーで)。
レッスンの内容は青天の霹靂の連続あるいは目から鱗を落としまくりで、自分の音楽が小さくなりすぎていたことを提示し大きく開けた音楽へといざなってくれるものでした。
ブルースの音楽が素晴らしかっただけではなく、マンチーニの音楽の多様性や幅広い表現が、豊かなレッスンを導いてくれたのだと思います。
それ以降の自分の音楽を形作ってくれたすばらしいレッスンでした。いまだに、たまにこのレッスンのことを思い出して反省しています。今回久しぶりに11番ト短調のソナタも演奏します。

ご予約・お問い合わせは
オフィス・アルシュ
TEL:03-3320-2274
e-mail: sonate@o-arches.com

第1回(2008.10.30.木)大久保の日本福音ルーテル教会、コレッリの特集は終了いたしました。
たくさんのご来聴ありがとうございました。

下にプログラムノートを掲載しています。
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by flauto_diritto | 2009-02-17 19:00 | Flauto diritto | Comments(0)

コレッリのプログラムノート     

リサイタル「イタリアの道」第1回 アルカンジェロ・コレッリ のプログラムノート


アルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)
Arcangelo Corelli

アルカンジェロ・コレッリの作品、殊にその作品5であるヴァイオリンのソロソナタ集は18世紀を通じてヨーロッパ各地で版を重ねて出版され続けた。初版がローマで出された1700年には早々とロンドンおよびアムステルダムで海賊版が出版され、以降18世紀も末になる1795年までにに少なくとも40種類の版が確認されている。出版はヨーロッパ各地でみられるが、ロンドンでの再版がことに多い。18世紀にこれほど長期間継続的に広範囲にわたって出版し続けられた作曲家は他に類をみない。ちなみにロンドンを訪問していたハイドンがロンドン交響曲の最後のセット(第99番から104番)を書きあげたのが1795年である。
コレッリの作品が18世紀を通じて「古典」あるいは「規範」とみなされていたのは、これらの数字からも裏付けられる。実際、彼の作品は極限までに切り詰められたシンプルな構成と平明なメロディーそして明確な対位法をもち、バランスよく作り上げられている。古典派の時代にまで影響力を持っていたのは当然だろう。

作品5の編曲版も1702年ロンドンのウォルシュWalshから後半6曲(第7番から第12番「フォリア」まで)のリコーダー用が出版されたのを皮切りに、様々な楽器及び異なった編成のためのものが18世紀中に20種類は数えられる。

また、1710年にアムステルダムのロジェRogerが出版した“コレッリ氏が演奏するとおりに作られたアダージョ楽章への装飾付、第3版”を筆頭に、数え切れないほど多くの様々な装飾案が残されている。ロジェ第3版の装飾はその真作性が疑われているが、コレッリの弟子ジェミニアーニが残した装飾案などと比較しても様式的な類似性が高いので、これらは当時の共通スタイルと言えるだろう。この所謂「コレッリ風装飾」は、平明で明快に作曲された楽曲を、混沌の淵に陥れんばかりに、旋風の如く、怒涛の如く、情念の渦巻きの如く、透明感あふれる元の楽譜に飾りをつけていく。
当時のコレッリの人物評には「知的で優雅、かつ哀愁を誘う」というものもあり、また、静謐な環境で納得いくまで自作の校訂をしたとも伝えられている。しかし他方、演奏の際には「顔をゆがめ、目に赤い炎を宿し、苦悶する如く目をぐるぐるさせて」ともいわれている。印刷譜に記された音符と即興的な装飾との間の乖離は、彼自身の二面性と相照らしているように感じられる。

1702年のウォルシュ版を「しろうと編曲」と呼ぶ向きもあるが、その言はあまり正確ではない。容易に吹けるように単純化されたこの編曲は、正確には「しろうと奏者向けの編曲」と言うべきだろう。有名なあの曲を簡略化し安易な調に移調して誰でも吹けるように、というのは現代でもよくあるやりかただ。また、リコーダー向けには1707年に同じウォルシュから第3番と第4番をアレンジしたものを含む曲集が出されている。こちらは1702年版とは編曲のコンセプトが異なり、原調のままで簡略化を控えたもので演奏の難度が高くなっている。緩徐楽章には装飾が施され、重音部分は分散和音に書き換えて処理され、場合によっては元のメロディーより凝った音形に書き換えられている。しかしこの編曲にも問題がある。重音部分をあまりにも画一的に分散和音化しているため、原曲のリズム感が犠牲となり単調になっている。
笛用の編曲版はもう一種類、1754年にパリで出版されたトラヴェルソ(横吹きフルート)のためのもの(第1番から第6番まで)もある。この版ではトラヴェルソに適した調への移調が行われていて、ヴァイオリン的な音形や重音部分を笛的に書き換えた処理がなされている。

今回の演奏会のために新たなアレンジを行った。ウォルシュ版のアイデアを採用した個所は少なく、1754年のパリ版に示唆を受けた部分は多いがそのまま援用した個所は少ない。アレンジの基本姿勢は原曲のイメージを保持しつつリコーダーの音楽として響くようにということである:1)重音を分散和音にするのは極力避ける。2)対位法的な重音奏法部分は、リコーダーとオルガンの右手に分担、あるいは重要な流れを抜粋して一つの旋律として書き換える。3)移調した曲では通奏低音は可能な限り原曲の音形やオクターヴ関係を保持する。
 
作品5以外にもコレッリ作として伝承されているヴァイオリンソナタが多数存在する。信憑性の薄いものがほとんどだが、1697年にアムステルダムのロジェが出版した“アルカンジェロ・コレッリ及びその他の作曲家によるヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集”にはコレッリ作と書かれたソナタが4曲収録されており、真作の可能性が最も高いものである(ただし曲集の表紙にはコレッリの作品5(!)とあり、作曲者の承諾なしに出版されたことを暗に物語っている)。この曲集第4番ニ長調のヴァイオリンソナタには7種類の筆写譜が存在しており、少なくとも同時代の人々はコレッリの作とみなしていたようだ。パルマにある筆写譜はリコーダー用に短三度上げてへ長調に移調されている。ロジェ版とパルマ版とを比べるとかなりの違いが見られる。一長一短があり、おそらく双方の基になった原典が存在すると思われる。今回、想定される原曲の姿に近い楽譜を両者から作った。


program

1:ソナタ ヘ長調 作品5-4
  Sonata Quarta Fa maggiore Opera 5
   Adagio – Allegro – Vivace – Adagio – Allegro
     (Flauto , Cembalo , Organo , Viola da gamba)

2:ソナタ ハ長調 作品 5-3
  Sonata Terza Do maggiore Opera 5
   Adagio – Allegro – Adagio – Allegro – Allgro
    (Flauto , Cembalo , Organo)

3:ソナタ ハ短調 作品 5-5 (原曲:ト短調)
   Sonata Quinta Do minore Opera 5 (originale : Sol minore)
    Adagio – Vivace – Adagio – Vivace – Giga(Allegro)
       (Flauto , Cembalo , Cembalo e Organo , Viola da gamba)

~~~~休憩~~~~

4:ソナタ ト短調 作品 5-8 (原曲:ホ短調)
   Sonata Ottava Sol minore Opera 5 (originale : Mi minore)
    Preludio(Largo) – Allemanda(Allegro) – Sarabanda(Largo) – Giga(Allegro)
        (Flauto , Cembalo , Viola da gamba)

5:ソナタ ヘ長調 Anh.34 (原曲:ニ長調)
   Sonata Fa maggiore Anh.34 (originale : Re maggiore)
    Grave – Allegro – Adagio – Allegro – Adagio – Allegro
        (Flauto , Cembalo , Viola da gamba)

6:フォリア 作品5-12
   Follia
       (Flauto , Cembalo , Cembalo e Organo ,Viola da gamba)

リコーダー:小池 耕平
チェンバロ:鴨川華子  オルガン&チェンバロ:三橋桜子  ヴィオラ・ダ・ガンバ:中野哲也

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リハーサル中
オルガンとチェンバロをお願いしたふいご屋さんのブログから画像をいただきました。
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by flauto_diritto | 2008-10-30 19:00 | Flauto diritto | Comments(0)

テレマン:クライネ・カンマー・ムジーク全曲演奏会

プログラムノート改訂版)を掲載しました。
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La PETITE MUSIQUE de CHAMBRE
Die kleine Cammer = Music
von Telemann

テレマン作曲
小室内楽曲集

Partia 1  組曲 第1番 変ロ長調
Con affeto - Aria 1 (Presto) – Aria 2 (Dolce) – Aria 3 (Vivace) – Aria 4 (Largo)- Aria 5 - Aria 6 (Allegro)

Partia 2  組曲 第2番 ト長調
Siciliana – Aria 1 (Allegro) – Aria 2 (Allegro) – Aria 3 (Vivace) – Aria 4 (Affetuoso)-Aria 5 (Presto) – Aria 6 (Tempo di Minue.)

Partia 3  組曲 第3番 ハ短調
Adagio – Aria 1 (Presto) – Aria 2 (Vivace) – Aria 3 (Vivace) – Aria 4 (Allegro)- Aria 5 (Vivace) – Aria 6 (Presto)

***** 休憩 (20分) *****

Partia 4  組曲 第4番 ト短調
Grave – Aria 1 (Allegro) – Aria 2 (Allegro)– Aria 3 (Tempo di Minue.)- Aria 4 (Allegro)– Aria 5 (A tempo giusto) – Aria 6 (Allegro assai)

Partia 5  組曲 第5番 ホ短調
Andante – Aria 1 (Vivace) – Aria 2 (Presto) – Aria 3 (Vivace) – Aria 4 (Siciliana) – Aria 5 (Vivace) – Aria 6 (Presto)

Partia 6  組曲 第6番 変ホ長調
Affetuoso – Aria 1 (Presto) - Aria 2 (Vivace) – Aria 3 (Tempo di Ciaccona)- Aria 4 (Allegro) – Aria 5 (Allegro)– Aria 6 (Tempo di Minue.)


リコーダー:小池 耕平
ヴィオラ・ダ・ガンバ:中野 哲也
チェンバロ:脇田 美佳
ヴァイオリン:小池吾郎(組曲第6番のみ) 

2008.4.17.近江楽堂

G.Ph.Telemannテレマンが1716年9月にフランクフルトで出版した「小室内楽曲集」として知られる曲集の初版タイトルはkleine Cammer=Musicと記されている(1728年の第二版ではまずフランス語で“La PETITE MUSIQUE de CHAMBRE”そしてその下に“Die kleine
Cammer=Music”と記されている)。

この曲集のタイトルは、ドレスデン宮廷の楽団名に由来している。ドレスデン宮廷には“Grosse Cammer-Musique”(大室内楽団)いう大編成のオーケストラと、“Kleine Cammer-Musique”(小室内楽団)という小編成のアンサンブルとがあった。曲集のドイツ語のタイトルにも楽団名にも、英語やフランス語風のスペルが混じっている。

その名前のスペルと同様に、ドレスデン宮廷の楽団はヨーロッパ中から有能な音楽家が集められた多国籍のものだった。そこには今日でも有名な名前が多数見出せる。たとえば、Abel アーベル(ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、後にJ.Chr.バッハと共にロンドンに渡る)、Buffardin ビュファルダン(フランス人フルート奏者。J.S.バッハのフルートソナタは彼のため?)、Quantz クヴァンツ(ドレスデンではオーボエを吹いていたがフルートに転向してベルリン宮廷に仕えた)、Pisendel ピゼンデル(独)、Veraciniヴェラチーニ(伊)、Volumier ヴォリュミエ(仏)といったヴァイオリン奏者、リュートの Weiss ヴァイス、等々。

4人のオーボエ奏者への献辞が初版に掲載されている。(現在容易に入手できるファクシミリであるFuzeau版は1728年に再版された第2版がもとになっており、残念ながら献辞は含まれていない。今回はMusia Musica版(絶版。こちらも楽譜自体は第2版を底本にしている)に掲載されている英訳を参照した。)
その4人の奏者とは、まず、フランス人でロンドン~オランダと渡り歩いて活動した後にドレスデン宮廷楽団に入った François La Riche ラ・リッシュ。彼は17世紀後半にフランスで新しく開発されたこのオーボエという楽器の最初期の専門家である。
ラ・リッシュの弟子で20歳からドレスデン宮廷楽団に所属した Johann Christian Richter リヒター。
同じくドレスデンでラ・リッシュに学んだ後テレマンがいたライプツィッヒ宮廷で働き、その後ダルムシュタット宮廷楽団へと移動した、リコーダーやフルートの名人でもあった Johann Michael Böhm ベーム。
ベルリンでフリードリヒ1世から2世の時代にかけてオーボエ奏者としてまた教師として活動した Peter Glösh グレッシュ(彼もまたラ・リッシュの薫陶を受けていた可能性がある)。
彼ら4人は、1716年5月にテレマンが作曲したオーストリア皇太子の誕生を祝うセレナータ上演のためにフランクフルトに集まったのである。テレマンは後に(1718年)評論家Matthesonマテゾンに宛てた手紙の中でこの時のグレッシュの演奏を高く評価している。「小室内楽曲集」は同年1716年の9月に出版されており、彼ら4人がフランクフルトに来演したことが作曲のきっかけになったようだ。テレマンの献辞はオーボエという楽器そしてこの4人に対しての賛辞に始まり、作曲に当たって留意したことが説明されている。それはオーボエという楽器の特性に配慮したもので、1)音域をなるべく狭くした、2)幅広い跳躍は避けた、3)輝かしい響きを得られるように、くぐもった音色や扱いづらい音は避けた。4)それぞれのアリアを短くするために最大限の労力を傾けた。そして、5)和声に関しては、半音進行はほとんど使っていない。
テレマンはオーボエがいかにバテやすい楽器であるかをよく知っていたのだ。(いまだにオーボエという楽器は演奏の困難さで知られており、ギネスブックに最も難しい木管楽器として掲載されている。)ほとんどの楽章がスコアで1ページ(横長の楽譜で3段!楽章によってはたったの2段!)に納まっており、2ページにわたる楽章は少ない。通常は長大に作られるシャコンヌ(組曲第6番のAria 3)でさえ4段(46小節)しかなくあっけなく終わってしまう。また、それぞれの曲が短いだけではなく付されたタイトルも素っ気ない。組曲は6曲全て、序奏となる楽章の後にただ単に“Aria”アリアと題された6つの楽章が続き、表題を持つものは一つもない。組曲によって含まれる楽章の性質や配列はまちまちで統一性は見られないが、楽章のヴァラエティは大変に豊かで、歌唱的なもの(組曲第1番Con affetoのようにオペラアリアの形式だったり、同組曲Aria 2のように子守唄風だったり)もあり、対位法的なドイツ風(組曲第6番Aria5、あるいはインヴェンション風の第1組曲Aria1など)あり、イタリア風やフランス風、はたまたテレマンがいつも自分の音楽様式の第一の特徴だというポーランド風(組曲第3番Aria1、第4番Aria1などが典型的)など多様な舞曲ありで、様々なスタイルによっている。
短い小さな曲ばかりで構成されていることが、曲集のタイトルとその中身を強く関連付けており、しかも楽団名とも共通しているという、なかなかにおしゃれな曲集である。
テレマンの言う通り音域は狭く、下はd’から上はh''までの1オクターヴ半強。跳躍音形が特徴的な楽章も散見されるが、フルート用の作品のように2オクターヴにわたるようなことはなく(オーボエのもともとの音域が狭いせいでもあるが)たまにせいぜい1オクターヴ跳ぶことがある程度だ(しかしオーボエにとってはその1オクターヴの跳躍が厳しいことも多いのだが)。楽章によってはメロディーが本当に狭い範囲の音域でしか動かないものがある(組曲第1番Aria 2など)。しかし、このことが音楽の表現の幅を狭めているわけではないのがテレマンの面目躍如たるところだ。
当時の木管楽器では半音階を出すためにクロス・フィンガリング(ひとつおきに穴をふさぐ運指)を使うか指孔を半開にする(ダブルホール仕様の楽器の場合はその片方だけを閉じる)必要があるが、それは必然的にくぐもった音色を生み出すことになる。テレマンは使うのを避けたとは言っているが、半音進行は曲のあちこちに見いだされ、味わいを豊かにしてくれている(極端に半音階的なのは組曲第4番の第1楽章Grave)。

本日の演奏には、2本のソプラノリコーダー、譜久島譲製作のE.Tertonテルトン・モデル と J.Steenbergenステーンベルヘン・モデルを使用する。元になったメーカー二人はともにオランダ人で同じ1676年生まれながら、かなり異なったタイプの楽器である。テルトンは1710年(34歳の時)に17世紀後半からオランダの木管楽器製作の中心地だったオーファーライセル州の町ライセンからアムステルダムに移り住んだ管楽器製作者。ステーンベルヘンはロンドンからアムステルダムに移住してきたR.Hakaハーカの弟子であり、1700年には独立していたようだ。         (小池耕平)
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by flauto_diritto | 2008-04-17 19:00 | Flauto diritto | Comments(5)

CD「イタリアの道」

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2007年3月7日発売、CD「イタリアの道」
ALM Records コジマ録音 ALCD-1091
税込価格¥2,940 (税抜き価格¥2,800)

いまなら、amazonで御購入いただくのが安いようです(送料も無料)。

チーマ:リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ
コレッリ:ラ・フォリア op.5-12
マンチーニ:リコーダー・ソナタ第2番 ホ短調
バルサンティ:リコーダー・ソナタ第5番 ヘ長調 op.1-5
マルチェッロ:リコーダー・ソナタ第10番 イ短調 op. 2-10
ヴェラチーニ:リコーダー・ソナタ第4番 変ロ長調
マルチェッロ:チャッコーナ ~ソナタ ヘ長調 op. 2-12より
チーマ:リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ


リコーダー:小池耕平
ヴィオラ・ダ・ガンバ:中野哲也
チェンバロ:三橋桜子
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by flauto_diritto | 2007-11-25 12:00 | Flauto diritto | Comments(1)

リサイタル「イタリアの道」


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終了いたしました。
沢山の方に御来場いただきました。有り難う御座います


プログラムノートを掲載しておきます。

1. チーマ(ミラノc.1570~ミラノ1630):リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ(原曲:ヴァイオリンとヴィオローネのための)
Giovanni Paolo Cima : Sonata a 2 (originale: per violino e violone)

2. マルチェッロ(ヴェネツィア1686~ブレーシャ1739):チャッコーナ ヘ長調 op. 2-12より
Benedetto Marcello : Ciaccona in fa maggiore op. 2-12

3.マルチェッロ(ヴェネツィア1686~ブレーシャ1739):リコーダー・ソナタ第10番 イ短調 op.2-10
Benedetto Marcello : Sonata decima in la minore per flauto e basso continuo op. 2-10

4. バルサンティ(ルッカc.1690~ロンドン1772):リコーダー・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.1-5
Francesco Barsanti : Sonata quinta in fa maggiore per flauto e basso continuo op. 1-5

5. ヴェラチーニ(フィレンツェ1690~フィレンツェ1768):リコーダー・ソナタ 第4番 変ロ長調
Francesco Maria Veracini : Sonata quarta in si bemolle maggiore per flauto e basso continuo

6. マンチーニ(ナポリ1672~ナポリ1737):リコーダー・ソナタ 第2番 ホ短調
Francesco Mancini : Sonata seconda in mi minore per flauto e basso continuo

7. コレッリ(フジニャーノ1653~ローマ1713):ラ・フォリア op.5-12
Arcangelo Corelli :La Folia op. 5-12

8. チーマ(ミラノc.1570~ミラノ1630):リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ(原曲:コルネットとトロンボーンのための)
Giovanni Paolo Cima : Sonata a 2 (originale: per cornetto e trombone)

rec:小池耕平
vdg:中野哲也
cem & org:三橋桜子


<プログラムノート>
 18世紀のヨーロッパでグランドツアーというものが流行しました。これは、イギリスの俗福な貴族子弟が、学業の終了時にフランスやイタリアへと旅をした、今で言う修学旅行のようなものです。今と違って馬車で旅行するわけですから移動の時間もかなりかかりましたし、各都市に長期滞在するため最低でも数ヶ月から長い場合には数年に渡る旅でした。
 本日のプログラムは、たった2時間弱でグランドツアー気分を味わおうという趣向です。ツアーコンダクターは、たて笛リコーダーで、目指すはバロック時代のイタリアの諸都市。異なる町出身の6人の作曲家のソナタを取り上げます。それぞれの作曲家は今でこそメジャーだとは言えませんが、当時は皆それぞれに著名人でした。また、現在良く知られていないが故に、かえって先入観無しにその時代性や地域性を反映した音楽をお聴きいただけるのではないかとも思います。

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 イタリアはバロック音楽が生み出されたところです。
 前の時代、ルネサンス期の音楽はポリフォニー(対位法によって同時に複数のメロディーを組み合わせた多声音楽。カノンやフーガもこの仲間です。)が主流でした。ところが17世紀を目前にした頃から古代ギリシャの音楽劇を再現する実験が行なわれ、1600年頃のフィレンツェの宮廷で全てが音楽に乗って歌われる音楽劇「オペラ」が誕生したのです。そのためにひとつの歌詞を一人だけで歌い、単純な和音だけの伴奏がつく「モノディー」と呼ばれる形式が発明されました。今から見るとこの形式は当たり前のような気がしますが当時としては前の時代とは大幅に異なった新しい音楽でした。また、それにあわせて新たに開発された伴奏の書式はベースの音に数字を振って弾くべき和音を示したもので「通奏低音」と呼ばれ、バロック時代の音楽を特徴付けるものになっています。この新しい音楽は「新音楽」とか「第二作法」と名づけられ古い音楽(「旧音楽」、「第一作法」と呼ばれることになりました)と区別されました。つまり作曲家達も明らかに新しいものを創造したという意識があったのです。またこの時代には、この新しい声楽の形式を応用して器楽のためのシリアスな音楽が初めて作曲されるようにもなり、「ソナタ」と名づけられました。初期バロックのソナタは、様々な感情を喚起する短い部分を切れ目無くつなぎ合わされた一つの楽章に作られています。そこでは対位法を使用した旧音楽の書法による部分と、オペラのアリアやレシタティーヴォを思わせるような新音楽の書法による部分、あるいは舞曲を思わせる部分がパッチワークのように組み合わされています。

 本日の旅は、17世紀になったばかりのミラノに始まります。
 一曲目に演奏する、G.P.チーマのソナタは、最も初期の器楽独奏曲の例です。チーマは北イタリアの都市ミラノのオルガン奏者の家系に生まれ、長年ミラノの教会のオルガン奏者として働き、楽長としても勤めました。
 このソナタは不思議な抑揚に富んだバロックならではのメロディーが、古めかしい印象を与える前時代の手法である対位法によって展開される部分に始まります。リコーダーの演奏する上声とヴィオラ・ダ・ガンバの演奏する低音声部が、時に穏やかに対話し時には激しく主張て技巧を尽くしたソロを奏でる多様な場面をはさみつつ曲は進みます。そして最初のメロディーが途中で何度も顔を見せます。ただ、この曲は教会の礼拝の途中で演奏することを目的とした「教会コンチェルト集Concerti ecclesiastici」という曲集に含まれているため、舞曲の要素を聴く事は出来ません。

 ミラノを後にした私たちはまず、18世紀の北イタリアの諸都市を巡ります。
 1600年ごろに誕生したソナタは、17世紀の後半にはその規模を拡大し、つなぎ合わされていた各部分が「楽章」として分離されるようになります。その際、緩・急・緩・急のテンポだけを冠した4つの楽章で構成される教会ソナタと、多数の舞曲楽章から構成される室内ソナタの二種類が生まれました。

 ヴェネツィアの作曲家はヴィヴァルディやアルビノーニなど枚挙に暇が無いほどですが、本日お聴きいただくのはB.マルチェッロです。彼はヴェネツィア貴族の家の出で本業は政治家、法律家でしたが、映画「ヴェニスの愛」のオーボエコンチェルトで有名な兄のアレッサンドロと同じく作曲家として活動していました。彼の作品2のリコーダーソナタ集の表紙には『ヴェネツィア貴族で対位法の愛好家(ディレッタント)』と書いてあり、職業としてではなく趣味で音楽をしていることを誇りにしていました。また、音楽評論の筆も執っており鋭い舌鋒でも知られています。
 新奇なものへの志向が強く演奏者に超絶技巧を求めるヴィヴァルディとは全く対照的に、マルチェッロの作曲は古風で保守的で、演奏にあたっての技術的な難かしさも有りません。しかし、その透けて見えるほど透明度の高い構成のうちに、深い味わいと説得力を持った音楽です。マルチェッロ家の所有地に建てられたオペラ劇場の賃貸借に関して、劇場主が契約を守らずに居座り続け、ヴィヴァルディがその劇場を使ってオペラ上演を続けていました。そのことにより、マルチェッロは自著「当世風の劇場」(1720頃)の中でヴィヴァルディ一派を風刺し攻撃しています。そうでなくとも、保守的で古典趣味な作曲家マルチェッロと進歩的で近代的な作曲家ヴィヴァルディに相容れるところはなかったでしょうけれど。

 この時代、国外に職を求めるイタリア人音楽家は大変に多かったのです。音楽は文化的な先進国イタリアの重要な輸出品だったと言えるでしょう。
 ルッカに生まれたバルサンティはパドヴァ大学で理科系の学生だったのですが、卒業後に音楽に転進し、同郷のヴァイオリン奏者でコレッリの弟子だったジェミニアーニと共にイギリスのロンドンに渡り、オペラ劇場で管楽器奏者として働きました。彼はロンドンで、リコーダーソナタ集とトラヴェルソ(横吹きのフルート)ソナタ集の2つの曲集を出版しました。当時の広告によるとリコーダーソナタは、ロンドンの有名な管楽器製作家P.ブレッサンが販売しています。バルサンティは45歳ごろには何故かスコットランドに移住し8年ほど滞在しています。その間、スコットランド歌曲集と合奏協奏曲集(随所にスコットランド風味が聴かれる!)を出版。その後ロンドンに戻りますが管楽器奏者の職を得ることは出来ず、ヴィオラ奏者になりました。
 バルサンティの第5番のリコーダーソナタには、同時代に同じロンドンでオペラ作曲家として活躍していたヘンデルからの強い影響を感じることが出来ます。ヘンデルの合奏協奏曲をリコーダーと通奏低音に編曲したらこのような響きになるかもしれません。

 ヴェラチーニもまた様々な国で活躍した音楽家です。おそらく彼は世界初の国際的ヴァイオリン・ヴィルトゥオーゾです。フィレンツェに生まれヴェネツィア、ロンドン、ドレスデンなどを渡り歩いて活躍しました。有名な上に変人で、当時の評価は演奏についても人間性についても毀誉褒貶さまざまでした。ドレスデンでは舞台上での喧嘩に巻き込まれて3階席から飛び降りてその後片足が不自由になったり、ドーヴァー海峡で海難事故にあったりと、波乱万丈の人生でした。晩年には故郷フィレンツェに定住しています。
 ヴェラチーニがドレスデンのオーケストラへの就職活動をした際にまとめられたのが、1716年に浄書されザクセン選帝侯の息子フリードリヒ・アウグストに献呈された、12曲からなるヴァイオリンまたはリコーダーのためのソナタ集です。ヨーロッパ随一の規模と人材を誇っていたドレスデン宮廷オーケストラにはヴォリュミエ(当時楽長)やピゼンデルなどの名ヴァイオリニストが居り、その時点でヴァイオリンのメンバー補充は全く不必要だったのですが、その上で成就したこの就職はフリードリヒ・アウグストの後押しあってのものでしょう。しかもヴェラチーニの給料は楽長よりも高額で、異常に高く評価されていたことをうかがい知ることが出来ます。しかしそのせいか、ヴェラチーニはこの宮廷では嫌われていたようです。
 彼のソナタはコレッリの形式を踏襲して極めてバランスよく作曲されているのに、何故か奇妙な印象を与えてくる場面が多く、曲のそこかしこに変人の面影を見る思いがします。

 南イタリアの都市、ナポリはオペラの中心地でした。また、そこには4つもの音楽院が有り、音楽教育も盛んでイタリア全土から学生が集まり、演奏家や作曲家を多数育成していました。
 マンチーニは生涯をナポリで過ごしたオペラ作曲家です。ナポリに生まれナポリの音楽院で学び、最初はオルガン奏者として出発しましたが、30才で書いた初のオペラで作曲家として認められました。不幸なことにマンチーニはローマからやってきた作曲家アレッサンドロ・スカルラッティの二番手の地位に長年甘んじており、ナポリ宮廷の楽長の地位に就いたのは50歳を過ぎてからでした。オペラの町ナポリの作曲家が残した器楽曲はさほど多くありません。器楽曲は娯楽目的で作られていましたから、もしかしたら大量に作曲されたのに再演も出版もされず使い捨てにされたのかもしれません。マンチーニの主要作品もオペラや声楽作品ですが、幸いなことにリコーダーのためのソロソナタを12曲、リコーダーを含んだ編成のコンチェルトを12曲残しています。リコーダーソナタ集は、1724年にロンドンで出版されており、駐ナポリ・イギリス総領事フリートウッドへに献呈されています。1710年にはロンドンのイタリアオペラ座でマンチーニ作曲のオペラ「イダスペ」が上演されているので、イギリスとの間に何がしかのコネクションが有ったものと考えられます。
 今聴くと、マンチーニのソナタはスカルラッティの同種の作品よりも遥かに内容が濃く、演奏効果も上がるものです。甘いメロディーも、対位法の腕の確かさも、和声の変化の豊かさも、奏者に求めてくる技巧の難度も、全て一級品だと言えます。

 ボローニャに近いフジニャーノという小さな町で生まれ、ボローニャでヴァイオリンを学んだA.コレッリはローマで活躍して大いに尊敬を集めた音楽家でした。教皇領の中心都市ローマでは、芸術によってカトリックを宣伝する目的のためにも、教皇以下多くの貴族達が建築や絵画彫刻そして音楽に対してのの資金を惜しまず大きく育てていました。
 コレッリは、自分の作品出版には大変に慎重な人で、静かな別荘に籠もって納得がいくまで推敲を重ねたということです。そのため、ごく僅かに筆写譜で伝えられたソナタの他に、たった6巻(各巻12曲セット)の曲集しか残されていません。17世紀後半には、2つのヴァイオリンと通奏低音という編成のトリオソナタが主流になっており、コレッリの作品1~4もその編成です。コレッリのトリオソナタは、声楽的な旋律をもつ楽章と対位法的な楽章の対比と明晰な構成をもち、全ヨーロッパに大きな影響を与え、トリオソナタの規範となっていました。しかし、彼が1700年に出版したヴァイオリンのためのソロ・ソナタ集(作品5)は従前の構成力に重ねてヴィルティオージティをも追求した意欲作で、初版後たちまちのうちに大ヒットし、ソナタの主流をトリオからソロへと転化させたのです。
 ラ・フォリアはこのヴァイオリンのソロ・ソナタ集の最後を飾る変奏曲。曲の緩急のバランスはあたかもひとつながりに演奏される長大なソナタのような構成を示しています

 プログラムの最後に、もう一度、17世紀初頭のミラノに戻りましょう。チーマのもう一つのソナタは、伸びやかな旋律で、対位法的な要素が比較的薄く、「新音楽」の喜びにあふれています。
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by flauto_diritto | 2007-04-17 19:00 | Flauto diritto | Comments(14)

Flauto diritto

 Flauto diritto
  フラウト・ディリット

フラウト・ディリット、イタリア語で「まっすぐな笛」つまり たて笛・リコーダーのことです。
Recorderリコーダーという英語名は小鳥のさえずりと関連のある名前のようです。

この楽器はバロック時代にはイタリア語でFlauto dolce(「やさしく甘い音色の笛」の意)と呼ばれることが多かったのです。しかし横吹きのフルートがフラウト・トラヴェルソFlauto traverso(trverso=「横」の意)と呼ばれていたことに対しては、リコーダーをフラウト・ディリットと呼ぶのがふさわしい気がします。

また、この「ディリット」と言う言葉は、ただ単に「まっすぐな」「直立の」という意味にとどまらず、「正直な」「公正な」「直接に」という意味合いも持っています。

この笛は鳥の模倣をするだけではなく、やさしい慰めの音色を奏でるだけでもありません。様々な情緒を直接に正直に表すことの出来る楽器です。

浮き立つような喜びや魂を引き裂く悲しみを、また、煌めく希望もくらく深い苦悩も、そして、胸に染み入る安堵や捕らえどころのない不安も・・・そういったあらゆる人間的な情動を「まっすぐに」伝えてくれる笛、という思いを込めて、私のソロリサイタルのタイトルとしています。
        (小池耕平)
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by flauto_diritto | 2004-05-09 01:08 | Flauto diritto | Comments(3)