マンチーニのプログラムノート

小池耕平 Flauto diritto 「イタリアの道」作曲家別シリーズ 第2回

  フランチェスコ・マンチーニ 作曲
  Francesco Mancini (1672-1737 , Napoli)
  「ヴァイオリンまたはリコーダーのための12のソロ」より
  from “Ⅻ Solos for a Violin or Flute “, London

1:ソナタ 第4番 イ短調
  Sonata Quarta La minore
   Spiritoso~Largo – Allegro – Largo – Allegro Spiccato

 2:ソナタ 第2番 ホ短調
  Sonata Seconda Mi minore
   Andante – Allegro – Largo – Allegro
 
 3:ソナタ 第5番 ニ長調
   Sonata Quinta Re maggiore
    Allegro~Largo – Allegro – Largo – Allegro

 4:ソナタ 第10番 ロ短調
  Sonata Decima Si minore
   Largo – Allegro – Largo – Allegro

     ~~~(休憩:20分)~~~
  
5:ソナタ 第11番 ト短調
   Sonata Undecima Sol minore
    Un poco Andante – Allegro – Largo – Allegro

 6:ソナタ 第12番 ト長調
  Sonata Duodecima Sol maggiore
   Allegro ~Largo – Allegro – Andante – Allegro

 7:ソナタ 第9番 へ短調
   Sonata Nona Fa minore
    (Andante) – Allegro – Largo – Allegro


       リコーダー:小池 耕平
    チェンバロ:鴨川華子   ヴィオラ・ダ・ガンバ:中野哲也



 16世紀以来スペインの統治下にあった南イタリアの都市ナポリ。18世紀には他国からも音楽の町・オペラの都と認識されていたナポリ。しかしスペイン統治がイタリアのニューモードであるオペラという音楽劇の導入を阻んでいたのだろうか、北イタリアでは17世紀の開始とともに始まっていたオペラがナポリで上演されたという言及が見られるようになるのは17世紀も半ばになったころからであり、しかもそれは当初は旅回りの一座が上演するヴェネツィア・オペラであった。実際にナポリの音楽家によってオペラが上演されるようになるのは1676年以降の王室礼拝堂付きの音楽家による王宮での上演からで、その公演も、1683年にA.スカルラッティAlessandro Scarlattiがローマから呼び寄せられナポリ宮廷の楽長になるまでは、ヴェネツィアのオペラ作品だけを上演していたのであった。
 ナポリが音楽の町として名を馳せたのは、音楽院が4つも存在していたことにもよっている。17世紀の前半にサンタ・マリア・ディ・ロレート、サントノフリオ・ア・カプアーナ、ピエタ・デイ・トゥルキーニ、ポヴェリ・ディ・ジェズ・クリストの4つの養育院内に設置された音楽院は、イタリア全土から生徒を集め、そこで学んだ生徒たちはヨーロッパ各地で活躍していた。このような音楽教育機関はヨーロッパの他の地には見られないものだった。(ナポリ以外の養育院内での音楽教育には、ヴィヴァルディが教えていたヴェネツィアのピエタのものがあるが、そこで学んだ少女たちは基本的に養育院内だけで音楽活動をしていた)

 1672年にナポリに生まれたF.マンチーニFrancesco Manciniは、1688年からピエタ・デイ・トゥルキーニ音楽院でオルガンを学んだ。1694年から1702年まで同校のオルガン奏者を務め、その間1696年に書いた最初のオペラがローマで上演されている。1702年以降何度もステップアップを図っているがなかなかうまくいかない。1702年にはナポリでの初めての自作オペラ上演。1700年にスペイン王位がフランス・ブルボン家のフェリペ5世に継承され、1702年にブルボン家が新たなナポリ総督を派遣したことでスカルラッティのパトロンであった総督が去りスカルラッティもローマに帰還したチャンスに、マンチーニはナポリ宮廷楽長の地位を得ようとするも失敗(結局、楽長職は04年に第三者の手に渡り、マンチーニはそのとき宮廷の第一オルガニストとなるに留まった)。07年ナポリ王権がオーストリア・ハプスブルクに移る。マンチーニはオーストリア軍の入場を歓迎する「テ・デウム」を作曲演奏したことで翌08年に楽長に任命されるが、直後にスカルラッティが呼び戻されて、副楽長へと降格されてしまう。しかしこのとき、かろうじて、スカルラッティ後に楽長に昇進する権利を得ることができた。また、二番手とは言っても、実際にはスカルラッティが病気がちだったりたびたびナポリを不在にしたりしたため、マンチーニが代役を務めることが多かったようだ。彼がようやく本当に楽長になれたのはスカルラッティが死去した1725年である。またマンチーニはサンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院の院長を1720年から務めている。1735年に脳卒中で半身不随になり、音楽院長の地位は失うも宮廷楽長の地位は保持した(副楽長が代役を務めた)。37年没。

 マンチーニのパトロンだったと思われるナポリ駐在英国領事J.フリートウッドJohn Fleetwoodは1708年にナポリに着任している。彼は領事でありながらも密輸に手を染めていたことでも知られている。また、17世紀末にイタリア・ローマに移住していた英国出身のリコーダー・オーボエ奏者R.ヴァレンタイン(イタリア名:ロベルト・ヴァレンティーニRoberto Valentini。1715年にはナポリに移住)も、このフリートウッドの後援を受けていたようで、ローマで作曲し1710年にヴェネツィアで出版した作品3のソナタ集を献呈している。マンチーニのオペラ「忠実なるイダスペ」が1710年にロンドンのヘイマーケットのクイーンズ劇場(翌年ヘンデルが座付き作曲家となる)の新装こけら落とし公演として初演されたのも、フリートウッドの力によるものかもしれない。でなければ、地元ナポリでも二番手で国際的に名前が知られていたとは考えられないマンチーニの作品がロンドンで上演されるとは思えない。初演の際にはライオンまで登場したというこのオペラはロンドンでは1716年までに46回も上演され、この時代には異例のロングランを達成している。

 18世紀初頭のナポリの作曲家によって作られ現在残されている器楽曲の数は大変に少ない。オペラやオラトリオなどの声楽作品を主に書いていたマンチーニが作曲した器楽曲もごくわずかしか残っていない。しかしリコーダー吹きにとっては幸いなことに、マンチーニには本日演奏するリコーダーソナタ集(全12曲)の他に、筆写パート譜で残されたコンチェルトが12曲ある。あとはチェンバロのためのトッカータが2曲のみである。リコーダー作品ははヴァレンティーニとのつながりによるものかもしれない。本日演奏するマンチーニのソナタ集は初版が1724年頃にロンドンで出版された(John Barret and William Smith出版)。フリートウッドは1721年にロンドンに戻っているので、彼がこの曲集の出版に関わっている可能性は高い。また、このソナタ集は 1727年1730年と短期間のうちに再版(John Walsh and Joseph Hare出版)されている。初版のタイトルは“ヴァイオリンまたはフルート(リコーダーのこと)のための12のソロ”、第二版は“ヴァイオリンと通奏低音のための12のソロ(ジェミニアーニGeminianiによって注意深く校訂された)”、第三版は“フルートと通奏低音のための12のソロ”となっており、第二版まではフリートウッドへの献辞が掲載されている。それぞれの版はタイトルこそ異なるが中の楽譜は同じものである。フリートウッドは1725年に死去しており、ウォルシュ&ヘアによる第二版、第三版はその後に出た海賊版である。
 
 マンチーニのソナタはすべて緩・急・緩・急の四楽章からなる教会ソナタの形式によっているが、第一楽章が緩やかな曲ではなく 急~緩 という形のイタリア風のトッカータの形式によるものもある(第4番,5番,7番,12番)。第二楽章は教会ソナタの伝統にのっとりフーガである。最終第四楽章がジーグになっているものは少なく第3番と9番のみである。12曲のソナタは様々な調性(順にd,e,c,a,D,B♭,C,g,f,h,g,G)で書かれていて、リコーダーにあまり向いているとはいえないシャープ系(第2番ホ短調、第5番ニ長調、第10番ロ短調)もある。それぞれのソナタが異なった個性を持っているだけではなく、一曲中に於ける変化も多彩であり、一つの楽章の中でみられる予想外の展開にも驚くべきものがある。


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by flauto_diritto | 2009-02-17 21:00 | Flauto diritto | Comments(2)
Commented by orangeao at 2009-02-24 10:55
はじめまして。
ガンバ弾きさんのところから辿り着きました。
開いてみて「うわっ・・すごいとこ来ちゃった・・・」と思ったのですが
ちょっぴりリコーダーをかじっていたので(今はお休み中ですが)
ぜひリンクさせていただきたいと思ってコメントしました。
Commented by flauto_diritto at 2009-02-25 00:49
>orangeaoさま

はじめまして。chocolatさんのところからですね?

最近サボっているブログにようこそお越しくださいました。
リンク持って行って下さいな。

リコーダーかじっていらしたんですね。
でも、「ちょっと」でよかった。
すごく齧っていると端の方からボロボロになってしまっていたと思います。楽器は齧っても美味しくありませんしね。(^^

今後よろしくお願いいたします。
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