ヘンデルのプログラムノート

小池耕平リコーダーリサイタル
「イタリアの道」 第3回 ヘンデル:リコーダーソナタ全曲
  2010. 10.26. 火. 19:00. 近江楽堂

リコーダーと通奏低音のための6つのソナタ
6 Sonatas for a treble recorder and Basso continuo

1) Sonata G minor HWV 360
  ソナタ ト短調
Larghetto - Andante - Adagio - Presto

2) Sonata F major HWV 369
  ソナタ ヘ長調
Larghetto - Allegro - Siciliana - Allegro

3) Sonata D minor HWV 367a
  ソナタ ニ短調
Largo - Vivace - Presto - Adagio - Alla breve - Andante - A Tempo di Menuet


~~~~~ 休憩 ~~~~~

4) Sonata B♭ major HWV 377
  ソナタ 変ロ長調
( Allegro ) - Adagio - Allegro

5) Sonata C major HWV 365
  ソナタ ハ長調
Larghetto - Allegro - Larghetto - a tempo di Gavotto - Allegro

6) Sonata A minor HWV 362
  ソナタ イ短調
Andante - Allegro - Largo - Allegro

  リコーダー : 小池耕平 ( Stanesby Sr. c.1700年モデル 黒檀+象牙 木下邦人製作 1985年 長野県飯田市 )
  チェンバロ : 鴨川華子 ( J.-C. Goujon 1749年モデル 東京古典楽器センター2003年製作 )
  a' = 402Hz

  チェンバロ提供・調律 : 東京古典楽器センター



ヘンデル:リコーダー・ソナタ全6曲    三澤寿喜
 
 ヘンデルの作曲したリコーダー・ソナタは全6曲である。これらは以下の2群に分けることができる。

第1群(4曲)
 ト短調(HWV 360)
 イ短調(HWV 362)
 ハ長調(HWV 365)
 ヘ長調(HWV 369)

第2群(2曲)=通称「フィッツウィリアム・ソナタ」
 1番、変ロ長調(HWV 377)
 3番、ニ短調(HWV 367a)

成立
 これら6曲はいずれも1720年代中頃(1724~26年頃)に作曲されたものとされる。しかし、ヘンデルがどのような目的で、また、誰のために作曲したかは不明である。
 一般的な背景としては、イギリスにおけるリコーダー人気が考えられる。イギリスはルネサンス以来、リコーダー人気の高い国であったが、特に18世紀前半は最も大きく流行した時代である。その人気はいわゆる「フルート」を凌ぎ、当時、一般にflauto「フラウト」と言えばリコーダーを指し、「横型フルート」はtraverso「横型」と断ったほどである。
 6曲の直接的な成立事情についてはいくつかの推論が成り立つ。
 当時、ヘンデルのオペラ・オーケストラでオーボエ、ファゴット、リコーダー奏者を務めていたオランダ出身のジャン・クリスティアン・キッチ(?~1737)と言う人物がロンドンのヒックフォーズ・ルームで頻繁に演奏会を開催し、ヘンデルのアリアなどを編曲演奏しており、彼がそこでのオリジナル・レパートリーとして、ヘンデルにソナタの作曲を依頼した可能性がある。
 より高い可能性としては「教育目的」が考えられる。ヘンデルは遅くとも1723年には王室の音楽教師に任命されている。この時期から、ヘンデルはウェールズ皇太子(後のジョージ2世)の王女達や、ヘンデルの秘書兼写譜家のクリストファー・スミス(子)に通奏低音やフーガの作曲を教え始め、そのための特別の練習課題も作曲している(1725~26年頃作曲:現存)。しかし、この通奏低音課題は主旋律をもたず、あくまで数字の付いた低音のみの練習課題であった。そこで、独奏楽器を伴う、より実践的な通奏低音の練習用にこれらのソナタを作曲した可能性が考えられる。事実、1720年代中頃に、ヘンデルはリコーダーに限らず、ソロ・ソナタを集中的に作曲している。あるいは、通常の創作活動として完成させた作品を「教育目的」に二次使用した可能性も十分考えられる。
 「教育目的」の可能性を最も強く示唆しているのが第1群の4曲のリコーダー・ソナタ(HWV 360、362、365、369)である。ヘンデルは最初の自筆譜(=作曲時の自筆譜。消失)を完成して間もなく、きめ細かな数字付けを施した、しかも音符の整ったきれいな清書譜を別に作成している(HWV 365の第1フォリオ以外、現存)。通常、オリジナル譜完成後の清書譜作成は写譜家スミスの仕事であり、ヘンデル自ら清書譜を作成するのは異例のことである。これは当時まだ15,6才の愛弟子、アン王女に対するヘンデルの優しい心遣いであったと思われる。ヘンデルは王女の中でも長女のアンを「王女の中の華」と呼び、ことのほか可愛がっていた。奇しくも二人はともに1759年に亡くなるが、生涯、良き友人であり続け、アンの結婚の際には《アン王女のための結婚アンセム》(1734年)を作曲して門出を祝い、アンがロンドンを離れた後も書簡によりレッスンを継続した。彼女は極めて優秀なコンティヌオ奏者であったらしい。有名なカストラート歌手ファリネッリが王室を表敬訪問し、ヘンデルのアリアをアンとファリネッリが初見演奏した際、ファリネッリが途中で挫折したのに対して、アンは見事に最後まで弾き切ったとのことである。
 
真作性と楽器指定
 ヴァイオリンやフルートなどヘンデルの他の独奏楽器用ソナタにおいてはしばしば楽器指定の曖昧さや、真作性そのものが問題となる。しかし、以下のとおり、リコーダー・ソナタ6曲はそのような問題とは無縁である。  
 6曲のリコーダー・ソナタは自筆譜が現存し、真作性は明白である。第1群のソナタの清書譜にはヘンデルの筆で"Sonata a Flauto e Cembalo"「フラウト(=リコーダー)とチェンバロのためのソナタ」と明記されている(HWV 365だけは、清書譜の第1フォリオが消失しており、表題が不明であるが、恐らく他の3曲と同様の表題が記されていたと推測される)。
また、第2群の2曲については自筆譜に楽器指示はないが、筆写譜のひとつに"Sonata a Flauto e Cembalo"と記されたものがあることと、音域から、リコーダーが意図されていることは間違いないと思われる(1点ヘ音~3点二音:特に下限が他の独奏楽器に対して特徴的)。
 コンティヌオとしては、"Sonata a Flauto e Cembalo"という表題が示すとおり、本演奏会におけるようなチェンバロのみの使用が妥当である。

作品の魅力
ヘンデルの劇場作品において、リコーダーは「心地よい森」「清らかな泉」「さえずる小鳥」「眠り」等、穏やかな場面で使用される(極めて例外的で、印象的な使用例は、オラトリオ《サウル》における「葬送行進曲」)。しかし、ひとたびソナタとなれば、ヘンデルのリコーダーの扱いははるかに大胆で、挑戦的である。彼はこの楽器のもつ音色や技巧の特性を最大限に生かし、多様な性格の楽章を組合せ、変化に富む魅力的なソナタを作り上げている。それはあたかも、オペラにおけるあらゆる場面(愛、歓喜、苦悩、憂愁、悲嘆、絶望、憎悪、怒りの場面)をリコーダー1本で演じきっているかのようである。その表現力の幅広さ、深さ、激烈さこそ、ヘンデル作品を一貫する魅力である。「教育目的」であったとしても、これら6曲に「教育臭さ」は微塵もない。それどころかここに展開される独奏楽器とコンティヌオの熱い格闘は、まさに第一級の室内楽作品の証しである。

各曲について
第1群
ト短調(HWV 360):1725/26年頃作曲。ラルゲット、アンダンテ、アダージョ、プレストの4楽章の教会ソナタであるが、第4楽章ばかりでなく、第2楽章も舞曲を連想させる要素をもつ。
イ短調(HWV 362):1725/26年頃作曲。アンダンテ、アレグロ、ラルゴ、アレグロの4楽章の教会ソナタである。第2楽章には明らかに鍵盤楽器の語法(アルベルティ・バス)が使用されている。
ハ長調(HWV 365):1725/26年頃作曲。(速度指示なし:ラルゲット?)、アレグロ、ラルゲット、ア・テンポ・ディ・ガヴォット、アレグロの5楽章。教会ソナタにガヴォットが加わった、室内ソナタとの融合型。
ヘ長調(HW V369): 1725/26年頃作曲。ラルゲット、アレグロ、シチリアーノ、アレグロの4楽章。融合型。このソナタはのちにヘンデル自身によって編曲され、オルガン協奏曲となっている(作品4、第5番、HWV 293)。

第2群:「フィッツウィリアム・ソナタ」2曲
この2曲はイギリスの音楽学者Th.ダートが1948年にケンブリッジのフィッツウィリアム博物館で発見したものである。彼はまず、変ロ長調(HWV 377)を第1番とした。次に、本来7楽章構成であったニ短調(HWV 367a)の最初の5楽章までを第3番とし、残りの2楽章をまったく関係のない他の楽章と一緒にして1曲のソナタに仕立て上げ、第2番とした。現在では第2番を除外して、第1番と第3番(本来の7楽章構成のもの)の2曲が真正な作品と認められている。

変ロ長調(HWV 377)「フィッツウィリアム・ソナタ」第1番:1724/25年頃作曲。(速度指示なし:アレグロ?)、アダージョ、アレグロ。珍しい急―緩―急のイタリア型の3楽章構成。
ニ短調(HWV 367a)「フィッツウィリアム・ソナタ」第3番:1724/25年頃作曲。ラルゴ、ヴィヴァーチェ、プレスト、アダージョ、アッラ・ブレーヴェ、アンダンテ、ア・テンポ・ディ・メヌエットの7楽章。融合型。第2楽章ヴィヴァーチェ(3/2拍子)はホーン・パイプ。第5楽章アッラ・ブレーヴェは堅固なフーガで全曲の頂点。ダートがこれを終曲としようとした意図は十分理解できる。しかし、それはベートーヴェン以降の楽曲構成法(クラマックス・フィナーレ)に慣らされた現代人の陥り易い誤謬である。ヘンデルには、充実した快速楽章の後に簡潔で優雅な舞曲を置き、心を鎮めて作品を閉じる作品は数えきれない。これもまた「時代様式」なのである。

使用楽器について      木下邦人
Th. ステインズビィ Sr. (Thomas Stanesby Senior, 1691-1728)、リコーダーのストラディヴァリ。他のヨーロッパ大陸諸都市のリコーダーがこのような称号で呼ばれることはありません。なぜロンドンの、しかもステインズビィ Sr. なのでしょうか。そう、まず第一に、リコーダーの中のリコーダーとも言うべき気品際立つ造形。そして、人の声を想わせる美しい音色と豊かな表現力。また、吹く人聴く人全てが感じるであろう、リコーダーという楽器そのものの充足と悦び。それらはイギリスの土壌が生んだリコーダーの特徴であり、特別に初期のステインズビィ Sr. が保持しているリコーダーの王道なのです。
本日使用の Sr. リコーダーは、まさしくその初期、1700年頃に作られたボックスウッド製(アムステルダム、F. ブリュッヘン蔵)a’=402hz を基本設計とし、ロンドン・ホー二マン博物館蔵の黒檀製象牙マウント付きのスタイルを採用して、1985年に製作されました。特異な材質によるその特性は、ボックスウッド製に比較して、引き締まった濃密な音色感と力強い表現力に富み、とでも申しましょうか。
ヴァイオリンがそうであるように、木管楽器も長い歳月という時間を経て熟成されてゆくものです。さて、あまり吹かれることなく二十余年、最もふさわしい演奏者に渡ったという幸運。眠りから覚めたこのTh. ステインズビィ Sr. は、どのようなロンドンを演じてくれることでしょうか。        

 



ついでに   小池耕平


ヘンデル作曲のリコーダーソナタは6曲が現存しており、以下のような同時代史料によって伝えられている。
a)自筆譜1)フィッツウイリアム博物館所蔵(ヘンデル自筆清書、ト短調、ハ長調、ヘ長調。イ短調は大英図書館所蔵)1725年頃
    2)フィッツウイリアム博物館所蔵(ヘンデル自筆草稿、ニ短調、変ロ長調)1725年頃
b)出版譜3)ロジェ Roger 版 1730頃
    4)ウォルシュ Walsh 版 1732頃
c)筆写譜5)マンチェスター図書館所蔵筆写譜(ト短調、イ短調、ヘ長調、ハ長調、ニ短調)1730年代初頭
    6)ロンドンの匿名の個人蔵筆写譜(ヘ長調、ハ長調、ニ短調)
 (自筆譜、出版譜、筆写譜の間には、音形や通奏低音の数字やテンポ表示に細かな違いがある。)

 ヘンデルのリコーダーソナタの成立に関して様々な誤解がある。
 まずヘンデル存命時から既に誤解を生じさせるようなことがあった。1730年頃アムステルダムの出版業者ロジェ名義で、4曲のリコーダーソナタ(ト短調、イ短調、ヘ長調、ハ長調。)を含む12曲のソロソナタ(他はトラヴェルソ用3曲とオーボエ用2曲、ヴァイオリン用3曲。)がヘンデルの作品1として出版された。ところが、これは実際にはロンドンの楽譜出版業者ウォルシュ(父)がヘンデルの許可を得ずに出版したもので、不法行為の隠れ蓑に、提携していたロジェの名前を使ったものだった。この中のヴァイオリンソナタのうち2曲はヘンデルの作ではなく、ウォルシュが入手した曲数の不足を補って12曲のセットにするために入れられたものだった。また、この曲集にはニ短調のリコーダーソナタが短三度下げられてロ短調のトラヴェルソ(横吹きフルート)のためのソナタとして収録されている。他にも、ヴァイオリンソナタが移調されてトラヴェルソ用にされていたり、ヴァイオリンソナタにオーボエソロ用と書かれていたりと、この版の信頼度は大変に低い。
 ウォルシュ(子)はその後1732年頃、「より正確な版」として自分の名前で出版し直すが内容はロジェ版とほとんど同じものだった(ロジェ版で省略されていた楽章が原曲通りに追加され、通奏低音の数字が少し増やされている。また、作者不明の2曲のヴァイオリンソナタは他のソナタに置き換えられているが、それらもやはりヘンデルの作ではない!)。

 上述のロジェ版ウォルシュ版に含まれる4曲のリコーダーソナタには自筆清書譜が現存している。イタリアの紙に書かれたその自筆譜は1725年前後に清書されたものと考えられている。この頃のヘンデルは王立音楽アカデミーという名のオペラ座での自作のイタリアオペラ興行の傍ら、国王家との交わりが深かった時期で、アン王女にチェンバロを教えていた。アン王女はヘンデルお気に入りの生徒で、彼女の通奏低音レッスンのためにヘンデル自ら丁寧で美しい清書譜を作成したと考えられる。秘書兼写譜係のJ.C.スミスを雇っていたヘンデルが自分で清書するのは異例なことである。この、アン王女のための自筆清書の存在が、4曲のリコーダーソナタは王女の通奏低音のレッスンのために作曲された、という見解を生んでいる。これはリコーダー奏者の虚栄心をくすぐる話ではある。たしかに、これらのリコーダーソナタは王女のレッスンに使われただろうが、そのために作曲されたと結論づけるのは早計である。おそらく話は逆で、他の目的で同時期に作曲していた様々な旋律楽器のためのソナタから数曲(もしくはリコーダー用の4曲のみ)を選んでレッスンに使用したと見るのが自然だろう。そして、アン王女のための自筆清書である故にその楽譜が今日まで残ったのではないだろうか。自筆清書譜は作曲の目的を示しているのではなく、使用された結果を示しているにすぎない。
 自筆清書譜には「リコーダーとチェンバロのためのソナタ」とある。アン王女のチェンバロレッスンの教材として清書した楽譜ならばこれは当然のタイトルだ。しかし、これらのソナタが宮廷であるいは私的な演奏会で演奏された場合には通奏低音にはチェンバロだけではなくチェロなどの低音旋律楽器が重ねて用いられた可能性は十分にあるし、逆にチェンバロなしでチェロだけの通奏低音という可能性さえある。または、オルガンによる通奏低音の可能性もある(変ロ長調の第2楽章とヘ長調の全曲は後にオルガンコンチェルトに改作されている)。

 ヘンデルはウォルシュ(子)と提携して楽譜出版に関与するようになる1739年より前には、写譜係スミスの工房で作らせた自作の筆写譜を販売していたと考えられている。マンチェスター図書館に現存する筆写譜はメサイアの台本などを書いたジェネンズが所有していたもので、S2という名で分類されている筆写係の手によってスミスの下で作成されたものである。 この筆写譜はウォルシュ版とほぼ同時期、1730年代の初頭に作成されたものである。収められているソロソナタはウォルシュ版の作者不明のヴァイオリンソナタ2曲を除いた10曲と同じ。内容もヘンデル自筆清書譜よりはウォルシュ版に近いが、曲順は異なっていて、楽器指定は記載されていない。ジェネンズは楽譜のコレクターとしても有名で、オラトリオの台本に関わる前からヘンデルの楽譜を集めていた。ヘンデルが完成品としたリコーダーソナタはこの筆写譜に含まれる5曲(ト短調、イ短調、ヘ長調、ハ長調、ニ短調)だけだといえるだろう。(変ロ長調のソナタはリコーダーソナタとして完成されずに他の曲に流用された。)

 今回はこのマンチェスター図書館所蔵の筆写譜を使って演奏した。この楽譜はヘンデルの弟子の工房で(おそらくヘンデル自身が決定稿とした現存しない原稿に基づいて)作成されたものである。ウォルシュ版と似通った箇所が多いことからも、一般に流通していた楽譜だと思われる。ただ、この楽譜にも間違いがあったり、ジェネンズによる通奏低音パートへの大量の数字の書き込みがあったりといった問題はある。自筆譜を使わない理由は、ハ長調ソナタの最初の部分が欠落しており、そのままでは演奏できないからである。そして、ニ短調ソナタの自筆譜は完成された楽譜とはいえず、自筆原稿のままで演奏するには難がある箇所があるからである。ただし、変ロ長調のソナタは、フィッツウイリアム博物館の自筆草稿を使った。ロジェ版やウォルシュ版を使わないのは信頼度の問題もあり、ロ短調にされてしまっているニ短調ソナタの問題もあるからである。
自筆清書、ウォルシュによる出版譜、筆写譜の間には、楽章のテンポ表記に異同が見られる。例えば、ヘ長調の第一楽章:自筆清書ではグラーヴェ、出版譜と筆写譜ではラルゲット。イ短調の第一楽章:自筆清書と出版譜ではラルゲット、筆写譜ではアンダンテ。(すると、可能性は薄いと思うが、もしかしたら、失われてしまったハ長調の自筆清書では第一楽章のテンポ表示はラルゲットではなかったかもしれない。)
[PR]
by flauto_diritto | 2010-10-26 19:00 | Flauto diritto | Comments(0)
<< イタリアの道(第3回・第4回)... 目白「冥利・なるたけ」 >>